2014年11月05日

『 今年も・・・みえ不登校フォーラム 』


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「みえ不登校フォーラム  ― 今とこれからの生活を考える ― 」が11月3日にアスト津で行われました。
今年で5回目になりますが、今までで一番多い150名以上のご参加者でした。

三重シューレは「みえ不登校支援ネットワーク」の事務局を担当しています。
ご参加者が事前予約をはるかに上回っていたために当日の資料が足りなくなりました。
誠に申し訳ありませんでした。来年度以降このようなことがないように準備したいと考えています。(今年資料がなかった方には、後日、送付させていただきます。)



このネットワークは、当事者と支援者の声・情報の循環、不登校に関する情報を当事者に届けることを目的にしています。
ネットワークには40以上の支援機関が民間と行政の枠を超えて参加しています。
不登校に関する情報は、随時更新してホームページにアップしています。
  ↓
http://www.mie-futoko.net/


フォーラムの特徴は、一部が不登校の当事者(経験者)が語り、二部は支援者(他に適当な表現が思いつきませんので・・・)のシンポジウムからなります。


今年の一部は三重シューレのOB(人前でお話しすることは初めてです)とOG(3年前に出演しています)が一人ずつ出演しました。

実は、毎年三重シューレの子どもやOB・OGは出演していますが、他の機関や団体に声をかけて出演者を募っています。

しかし、なかなか、出演者が見つからないという事情があります。
大勢の前で自分の不登校の経験を語るのは大きな勇気が必要でしょうし、心の中でどのように「不登校を整理」しているのかも課題になるかも知れません。
簡単に出演者が集まらないのは当然だとも思います。



お二人の話は、当時の思いを自分の言葉で記憶に刻んできた当事者以外に語ることのできない貴重なものであり、心にぐっと響きました。

「突然、学校に行くことが怖くなった・・・学校に行けない理由は自分でもわからなかった・・・周りの大人にその気持ちはうまく説明できなかった」

「学校に行けないことによる罪悪感を抱くこともできなかった・・・とにかく逃げたかった・・・今思えば不登校を決心していた」

「学校ではいつも人に合わせなければいけなかたった・・・フリースクールでは、ずっとしゃべっていたり、ずっと寝ている時もあった・・・それができてよかった」

「自分には2歳の子どもがいて・・・でも子育ての本は読まない・・・それにとらわれたら、こうしなければいけないと思って大変になるので・・・こどもはいろいろだから・・・」

う〜ん、納得です。


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その後の2部も好評でした。
2部は5人がシンポジストとして出演しました。(だいたい毎年こんな人数構成です)

人数が少ない方が一人一人の話をじっくり聞けるかなとも思いますが、いろいろな支援機関の話をまとまって聞ける機会になるので「よかった」との声が多いです。


今回のフォーラムのアンケートでも「貴重な当事者の声が聴けるフォーラムを継続して欲しい」と多くの声が寄せられています。


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出演前の楽屋で「緊張でお弁当が食べられない」と言っている?・・・OBと現役会員の子どもです!

来年、出てみたい人いませんか?



(いしやま)
posted by 三重シューレ at 15:23| Comment(0) | 不登校 フリースクール

2014年06月27日

『 当事者としての私 』 A


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(つづき)

私は自分の限界を超える経験をしてきましたが、それでも良かったこと、その経験から身についたこともあります。どんなに絶望的な状況でも、自分は生きてこられたし、これからも何とかやっていけるだろうという感覚を、身に着けることができたことです。それは私に特別なことではないと思います。だから私には、「不登校」というのはそんなに特別な状況とは思えなくなりました。そこが子どもたちと関わる中で、私の良かった点だと思います。私は「不登校」という言葉やその状態を、ほとんど意識せずに過ごしてきました。「かわいそう」と思ったことがありません。だからこそ、子どもたちと対等な関係を自然に作ることができたのだと思います。学校に行かなくても学べるし、遊べるし、友人も作れるし、自分自身であることができます。それは当たり前のことのように私には思えるのです。

学校で3年ほど働きましたが、全体的に見て「生徒も先生もしんどい状況」という印象を受けました。学校とはいったい誰のためにあるのだろうという素朴な疑問が出てきます。「社会にもまれても平気なように」という考えを時々聞きますが、私には本末転倒の歪んだ考え方のように聞こえます。「荘子」に、私の好きな話があります。「泉の水が涸れてしまったとき、魚たちは干上がった土の上に集まって、互いに湿った息を掛け濡らし合い、助け合うそうだ。それは美談のように見えるかもしれない。しかし大きな川や湖の中にいて、魚たちそれぞれが悠々と泳いでいる方が遥かによい」私たちは、美談を作るために苦しまなくてはならないことはないはずです。今、必要なのは息を濡らしあうことではなく、泉に十分な水を張ることではないでしょうか?

私の場合、高校を卒業した後の話になりますが良かったことの1つとして、両親と離れて過ごす時間をたっぷりと取れたことがあります。三重シューレの新しいキャッチコピーは「いっしょに生きる・『個』で育つ」です。その言葉のように、自分の「個」に向き合い、「個」としての自分から、自分自身、社会や世界、人生を眺めることができたということです。親や学校、社会の価値観に汚染されていない、私自身の思いで探し求め、作ってきた価値観です。大人になってから「あなたはもう、私の知っているあなたではないのね」と、母親に言われました。少し寂しそうな母親に、「きっとその通りだし、もう昔の自分には戻れないと思う」と私は答えました。こうやって文章にすると少し笑ってしまいそうですが、こんなドラマみたいな会話が本当にありました。

一方で、居心地は最悪でしたが、いつでも帰れる場所として実家があるというのは、ありがたいことでした。「いつでも帰れる」そして私にはできませんでしたが「安心して過ごせる」ということが、子どもにとって最も必要な家庭の役割で、その他は2番目3番目なのではないかと私は思います。特別な事情がない限り、あとは本人のほうで何とかできる(人に助けを求めることも含めて)と私には思われます。私は自分を取り戻すのに、10年近くの歳月を必要としました。もし私に安心できる居場所があったなら、そもそもあんな辛い経験をせずに済んだかもしれないし、たとえ経験していたとしても、そのための時間をずっと短縮することができただろうと思います。

三重シューレで子どもたちがそれぞれ育っていく中で、私もともに、私でいられる経験をさせていただきました。まさに「いっしょに生きる・『個』で育つ」時間を過ごさせていただきました。本当に幸せな10年間でした。私が人生の次の局面に向かうのも、この納得の時間があるからです。三重シューレは、子どもたちだけでなく、私にも必要な場所でした。

この10年間、関わってくれた子どもたち、スタッフのみなさん、保護者の方々、三重シューレを応援していただいた方々に、心より感謝いたします。ありがとうございました。


スタッフ 辻 忠雄
posted by 三重シューレ at 09:35| Comment(0) | 不登校 フリースクール

2014年06月26日

『 当事者としての私 』 @

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会報NO.26ができました!

今回の会報の中に、今年の3月まで三重シューレが出来てからずっとスタッフとして仕事をしていた「辻さん」が書いた「当事者としての私」が載っています。

たくさんの人に読んでいただきたいと思いますので、このブログに2回に分けて転載いたします。

三重シューレにいる大人たちは子どもたちと対等な関係を作っていきたいので「先生」ではなく「スタッフ」という名称です。
実際は「・・・さん」と呼ばれることが多いです。

そして、スタッフ同士・子ども同士、子どもとスタッフはお互いを認め合う仲間であると思っています。

三重シューレを巣立っても、大切な仲間です。
 


(いしやま)


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『当事者としての私』

 スタッフ 辻 忠雄


三重シューレで子どもたちと過ごして10年と数か月。最初はほとんど何もなかった部屋で、声がよく響いたのを覚えています。徐々に子どもたちの活動が充実し、機材も増えていきました。今、みんなで自由に使っている机や畳の間、パソコン、楽器なども、10年の積み重ねの中で、みなさんのご協力をいただきながら備わってきたものです。自分たちで居場所を作り、活動を決めていく・・・すべてが揃っている学校とは全く違う環境の中で、子どもたちは育ち、私自身も育って参りました。

私は今年度いっぱいで三重シューレを退職させていただくことになりました。フリースクールでの仕事はとても楽しく、魅力的です。子どもたちが自分の選択で育っていく姿を見られるのは、何事にも代えがたい経験でした。退職させていただくのは、これからの人生で、また新しい夢に向かいたいという思いからのことです。

私は不登校を経験していませんが、学校生活でたいへん苦労したという意味では当事者の一人として見ることができます。子どもの頃、重い自律神経失調症を患い、本当に辛い経験をしました。「学校が火事にならないかな?」とか「このまま眠ったまま死ねないかな」など、不登校の子どもたちが思うことは、私も一通り考えました。

私は、教師が望むような模範的な生徒だったと思います。そして学校は「がんばれば必ず賞賛(私にとっては愛情)をくれる場所」として、私には理解されていました。私は自分の本心を抑圧したまま(と言うよりも本心が分からなくなったまま)、ずっと優等生を演じ、それこそが私だと思い込んでいました。しかしそのような無理は長くは続きません。次第に心に反して体がどうしようもなく言うことを聞かなくなりました。両親に対しても歯向かったことのない私は、学校を休むという選択は考えられず、心身はどんどんひどく荒んでいきました。どんなに私の具合が悪くとも、両親から「休んでみたら?」の一言は、一度もありませんでした。一度だけ「休みたい」と言ったことがありましたが、「癖になるからダメ」と言われて、それで終わりでした。心身の不具合が「怠け」に見えるのでしょう。両親には私の実態が全く見えていなかったと思います。

学校で不安に慄きながら過ごすことや、それまでの自分でなくなっていくということは、非常に大きな恐怖を感じさせました。自分のことが分からなくなるのです。鏡の中の自分を見ても、自分だとは思えない。地面に足がついている気がしない。どこに自分がいるのか分からない。私は歴史年表を見て指さし、今、自分はここに生きているんだと納得させたり、鏡を見てこれが自分なんだと言い聞かせたりしました。どんなことをしても「これが私なんだ」という感覚は全く得られませんでした。

高校を出てからの私の生活は、自分とは?人間とは?社会とは?世界とは?そのような問いへ答えを探し続けるものでした。病気はすぐには快復していきませんでしたが、それでも両親と離れることや、大学は学校ほど不自由ではないため、何とかやっていくことができました。

何をどうすればいいか分からないままに、私は「私を取り戻すための“何か”」を探し求めていました。みんなが通常に学業を修め、就活などをしている時に、私は全く別のことに関心が向かっていました。現在では「便所めし」ということで、一人でいることが恥ずかしいと思う風潮が学生を苦しめているのですが、学生の私は「できるだけ1人にしてくれ」と思っていました。もちろん学食でも1人で食事を済ませ、いつも手に本を持って歩いていました。ここで詳細を語ることは割愛いたしますが、孤独な探求の中で、自分を回復させる方法を少しずつ見つけていき、問いへの自分なりの答えに近づいて行きました。その答えの1つがフリースクールでした。「フリースクールを作ること」、それは私の夢の1つになりました。

学校以外の場があるということは、非常に新鮮で、目から鱗の発見でした。不登校でいろいろな原因探しをすることがありますが、そもそも学校に行きづらい子どもがたくさんいるのなら、そのような子どもたちにあう居場所・学びの場を作ったほうが合理的なのは明らかだと思いました。「コペルニクス的転回」という言葉がありますが、教育の分野においてもそのような逆転的発想は必要だと思います。現在の教育システムそのものが、「システムのための人間」という構造になってしまっており、「人間のためのシステム」という機能を果たしていないように見えます。

念じれば通じるのでしょうか。フリースクールで働いてみませんか?という声をかけていただいたときは、あまりのことに茫然としていました。「三重にフリースクールを作る会(当NPOの旧名称)」の会員に登録していたところ、声をかけていただいたのです。それは私の人生における奇跡の1つでした。三重シューレに来たころには、私の体調はほぼ全快していました。

(つづく)



posted by 三重シューレ at 13:50| Comment(0) | 不登校 フリースクール